かつては「安定業種」の象徴とされたこの分野で、なぜ今「院長個人の破産」や「資金繰り難」が現実味を帯びているのか。
本記事では、近年の倒産件数の推移データと現場の声を手がかりに、診療所経営を追い詰める「2つの真因」と今後のリスクを整理する。
診療所倒産が高水準に 「安定していた業種」で何が起きているのか
帝国データバンクなどの集計によると、「診療所」経営事業者の倒産(法的整理・負債1000万円以上)は、2024年に年間31件と過去最多を更新し、2025年も10月末時点で20件超と高水準で推移しているとされる。:contentReference[oaicite:0]{index=0}
2000年代前半までは年間20件に届かない年が続き、「景気に左右されにくい安定業種」と見なされてきた診療所。しかし、ここ数年は医療機器・光熱費・人件費の上昇、コロナ禍対応後のゼロゼロ融資返済負担などが重なり、資金繰りが急速に悪化したケースが目立つ。
さらに、経営者である院長の高齢化や後継者不在により、「事業継続よりも整理を選ぶ」判断が増えている点も特徴だ。こうした要因が重なり、「診療所=安全地帯」という従来の前提が静かに崩れつつある。
■ 診療所経営事業者倒産問題の概要
| 名称/タイトル | 診療所(クリニック)経営事業者の倒産高水準化 |
|---|---|
| 期間/時期と場所 | 2019年頃から全国で増加傾向、2024〜2025年に高水準 |
| 主催者/提供者 | 診療所経営事業者(医療法人・個人開業医など) |
| 内容/規模 | 年間20〜30件規模の倒産に加え、廃業・休業は数百〜1000件規模の可能性 |
| 特徴・工夫 | 赤字化や承継難から自主的な事業整理も多く、「静かな退出」が表面化しにくい |
| 注目ポイント | 院長個人破産リスク、地域医療空白、金融機関の見方の変化 |
| 監修/協力 | 公的統計・信用調査機関のデータ、医療経営コンサルタント等の分析 |
| 時間/料金 | 診療報酬は全国一律だが、コスト上昇に追いつかず採算割れリスクが顕在化 |
診療所倒産が示す「2つの真因」 構造的負担増と高齢化が2025年に噴出
1つ目の真因は、物価高や賃上げを背景とした「経費負担の急増」である。医療機器の購入・保守費用、検査試薬、ディスポ製品、電気・ガスなどインフラコスト、人材確保のための給与水準の引き上げが同時多発的に発生し、「以前と同じ診療報酬体系では黒字が出にくい」構造になっている。
診療報酬は短期間で大幅に引き上げられにくく、コストだけがじわじわと先行する。その差額は、院長個人の役員報酬削減や持ち出し、自宅不動産の担保化などで穴埋めされる場合も多く、「気づいたときには個人資産ごと追い込まれていた」というケースも少なくない。
2つ目の真因は、「経営者の高齢化と承継難」である。開設から数十年が経過した診療所では、院長の年齢が60〜70代に達しつつあり、後継者不在のまま設備更新や人材投資をためらう傾向が強い。その結果、競争力低下と患者離れがじわじわ進み、金融機関の評価も厳しくなる。
赤字のまま事業を続ければ個人保証の債務リスクが膨らみ、承継が見込めなければ「畳む決断」が現実的な選択肢となる。こうして、「倒産」か「ひっそりとした廃業」かという分岐点に追い込まれる診療所が増えている。
この2つの真因は単独ではなく、互いを増幅させる。高齢の院長が物価高・人件費高騰の中で借入返済に追われれば、新規投資もブランディングも困難になり、地域内競争で不利になっていくという負のループだ。
「安定業種」から「選別の時代」へ 金融と地域が見る診療所の新評価軸
かつて金融機関は、「医療は景気に左右されにくい」としてクリニック向け融資に前向きだった。しかし近年は、患者数の減少や競合増加が顕著なエリアでは、事業計画や後継者の有無をより厳しくチェックするようになっている。
ゼロゼロ融資の返済開始により、資金繰りに余裕のない診療所では、返済負担と日々の運転資金が綱引き状態になり、「院長個人破産」に発展する事例への懸念も指摘される。医薬品卸や設備業者の一部は、支払遅延をきっかけに取引条件を見直すケースもあるという。
一方で、地域密着型でオンライン予約やキャッシュレス対応、在宅医療などを柔軟に取り入れる診療所は、依然として安定した基盤を維持している。今後は「医師だから続けられる」ではなく、「経営として成立しているか」がより明確に問われる時代になっている。
■ 診療所経営環境「以前」と「現在」の比較
| 項目 | 以前(〜2010年代) | 現在(2020年代半ば) |
|---|---|---|
| 倒産件数 | 年間10〜20件未満が多い | 年間20〜30件規模で高水準 |
| コスト構造 | 光熱費・人件費の伸びは緩やか | 物価高・人件費増で固定費が急上昇 |
| 院長の年齢構成 | 比較的若い開業医も多い | 高齢化と後継者不在が顕在化 |
| 金融機関の見方 | 「安定業種」として評価高め | 事業性・承継可能性を厳格に審査 |
診療所という「生活インフラ」が揺らぐとき 地域医療と暮らしへの波紋
診療所は、発熱やけが、生活習慣病の管理、健康相談まで、日常の不調と安心を支える窓口である。朝の待合室には常連の高齢者がゆっくりと腰掛け、子どもの咳の音、受付で交わされる短い会話、処方箋の紙がめくられる音が、地域の日常そのものを形づくっている。
こうした空間が、ある日突然「閉院のお知らせ」の貼り紙に変わるとき、その静かな文字の裏側には、長年積み重ねてきた赤字、返済負担、担い手不在といった見えないドラマがある。患者側からは見えにくいが、多くの診療所はギリギリの採算で続いている。
診療所が姿を消すと、患者はより遠方の医療機関に通うことになり、交通手段のない高齢者や子育て家庭にとって負担が増す。慢性疾患のフォローが途切れれば、重症化リスクや救急搬送の増加にもつながりかねない。
また、医療従事者側から見れば、「医療のプロ」であると同時に「中小事業者」でもあるという二重のプレッシャーがある。スタッフの雇用を守り、最新の医療を提供しつつ、自身の生活も支えなければならない。
経営が悪化した診療所の中には、設備投資を止め、広告も控え、院長自ら長時間労働で穴埋めすることで延命を図る例もある。しかし、それはしばしばバーンアウトを招き、結果として廃業や倒産を早める要因ともなる。
「2つの真因」は決して個々の経営者の努力不足ではなく、制度・環境・人口動態が重なり合った結果である。だからこそ、地域や行政、金融機関も含めた「支える側の設計」が問われている。
■ 診療所が経営危機に陥るまでの流れ
開業・安定運営
↓
物価高・人件費増・設備更新費の負担増
↓
患者数伸び悩み・競合増加で利益圧迫
↓
ゼロゼロ融資返済開始・借入依存度上昇
↓
院長高齢化・後継者不在で投資判断が停滞
↓
資金繰り悪化(リスケ・追加融資・私財投入)
↓
事業譲渡・統合の模索 or 廃業・倒産・個人破産リスク
FAQ:診療所倒産と私たちの生活への影響
Q1. 診療所の倒産は本当に増えているの?
A. 大規模業種と比べれば件数は多くないが、過去と比べて高水準で推移しており、従来の「極めて稀」な水準からは明確に変化しているといえる。
Q2. 廃業や休業と倒産はどう違う?
A. 倒産は法的整理などを伴うケースで、負債整理を含む。一方、廃業・休業は自主的な事業停止も含み、統計に表れにくいが、実際にはこちらの方がはるかに多いと見込まれている。
Q3. 地域住民への影響は?
A. 通院距離の増加、待ち時間の長期化、在宅医療や予防医療の選択肢減少など、生活に直接影響する。高齢者や子育て世帯への負担が特に大きい。
Q4. 院長個人が破産するケースはなぜ起きる?
A. 開業資金や設備投資に個人保証が付いている場合、事業悪化がそのまま個人債務に波及するため。追加借入や自宅担保を重ねるうちに、個人資産ごと追い込まれるリスクがある。
Q5. 患者としてできることはある?
A. 早めの受診や継続通院で「かかりつけ医」との関係を維持しつつ、予約・支払い方法のルールを守ることも支援の一つ。ただし経営改善の核心は制度設計や地域連携にあるため、患者だけに責任を負わせるべきではない。
Q6. 行政や金融機関は何を求められている?
A. 承継支援、事業再生スキーム、過剰債務への柔軟対応、地域医療ニーズと連動した出店・統合の支援など、「潰れてから」ではなく「潰れる前」に動く仕組みが重要だ。
診療所倒産問題から見える本質 「守るべきインフラ」をどう残すか
■ 診療所倒産問題のポイント整理| 開催概要 | 2019年以降、診療所倒産が増加し2024〜2025年に高水準 |
|---|---|
| 構成/設計 | 物価高と人件費増、融資返済、高齢化・承継難が複合的に作用 |
| 内容 | 倒産だけでなく、統計に表れない廃業・休業も多数発生している可能性 |
| 監修 | 公的統計、信用調査機関、医療経営専門家の分析を参考 |
| 特記事項 | 院長個人破産リスクや地域医療の空白など、生活インフラへの影響が大きい |
| 体験 | 患者・医療従事者・金融機関・行政それぞれの立場で「守る選択」が問われる |
診療所が示した「安定業種」の外側にある現実と向き合うとき
診療所は長らく、「景気に左右されにくい」「地域に必要とされる」存在として、安定した業種と見なされてきた。しかし、倒産や廃業の増加は、その安定が医療者個人の献身と私財に依存していた側面も浮き彫りにしている。
今、問われているのは「誰の負担で地域医療を維持するのか」という根源的な問いだ。個々の院長の自己犠牲に頼るのではなく、制度・金融・地域連携を含めた仕組みとして支える視点が不可欠である。
診療所倒産のニュースは、一見すると個別事例に見える。しかしその背後には、日本の医療提供体制、人口構造、物価高時代のコスト構造といった大きな変化が折り重なっている。本質を見据えた議論と支援策が、今まさに求められている。
